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親鸞

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親鸞を読みました。

結論から言うと面白かったです。
この本のテーマはやはり「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
善人は極楽往生を遂げられる。
大慈大悲の仏の目から衆生を見れば悪人はなおかわいいそうなのだから、
往生できるように救ってくださるはずである
という意味です。出典「歎異抄」(『故事ことわざ辞典』(創拓社))。

ネットで検索するといろいろ説がありそうです。
基本は
人は自力で善(往生の手段となる行為)を成すことは不可能である。
人はすべて悪(往生の手段とならない行為)しか成せない。
だから、悪人であることを自覚している人の方が、自分は善人だと思っている人より、
本願により救われる道を自覚している事になる。
という意味のように捉えられているようです。

本願とは、阿弥陀仏が建てた「願」の一つで、
「すべての人が救われなければ、わたしは仏とはならぬ」という誓いのことです。
人が往生出来るのは阿弥陀仏のこの本願によってであるので、
これを信ずることこそ人が往生するための道であるということだそうです。

この観念に至るまでの背景が「親鸞」に書かれているなと思います。
時代背景として、人々は飢えて、悪を行わなければ生きていけない人たちが
大勢いた時代です。

「弥陀の誓いぞたのもしき 十悪五逆のひとなれど一度御名を称ふれば来迎引接疑わず」
 阿弥陀仏の誓願は頼もしい。十悪五逆の人であっても、たった一度、南無阿弥陀仏と称えたならば、
阿弥陀仏が来迎して必ず極楽浄土へと迎え取ってくれる。それは疑いようのない間違いないものなのだ。

十悪五逆:つまり親を殺すとか、僧侶を殺すなどといった、仏教で最も重い罪を犯した人

南無阿弥陀仏と唱えれば、好き放題悪行をしてもいいのか?と曲解してしまう人も多いですね。
親鸞聖人は「三毒を慎むこと」とおっしゃっています。
煩悩を断ち切ることは出来なくても、親鸞聖人の仰るように「慎む」ことはできます。

弥陀の御誓は煩悩具足の人の爲なり

親鸞聖人が教えてくださった悪人とは
「常に阿弥陀さまのみ教えに照らされて、自らの悪を悲しんで生きているもの」のことなのです。
「私も助けられ、迷惑をかけて、その中でも生きさせていただいているのだな」

五木さんの言葉
私たちの時代がいままさに「疑」と「迷」の闇のまっただなかに滑り込んでいこうとしているからである。
「貧」と「老」が切り捨てられる時代がはじまったからだ。
親鸞はまさにそのような時代に呼ばれた人物だった。

彼の天才は知識ではない。
論理でもない。

人間が生きるために悪たらざるをえない状況において、その悪を深く知覚する天才だった。
そして悩み多き時代に、人々の何百倍も深く悩みぬく「悩みの天才」だったと私は思う。だから今なのだ。

今の時代、親鸞上人の見た世界と同じように悩み多き時代となったのかもしれませんね。


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プロフィール


はっちゃん

  • Author:はっちゃん
  • 2004年、山川紘矢・亜希子夫妻の本を読む。
    スピリチュアルな世界に興味を持ち、その後お話会やセミナー、ワークショップ、スピリチュアルツアーなどを体験。
    2005年パワーストーン・セラピー終了。
    日本エドガー・ケイシーセンター会員。


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